2015年12月1日火曜日

イベントを終え



限られたタイムテーブルのイベントを
限られたスケジュールで準備をして開催した訳ですが
ブルーノ・タウト来秋80周年記念イベント
「古い町家で新しいまちづくり」は何とか終えることができました。

秋田の町家には
他の地域には無い独特の美しさがあり
それは独自に進化し成熟した建築であるのだという事を
改めて知ることができました。

京都や金沢の町屋やその町並みはお手本だと考えていましたが
お手本どころか、今後秋田に現存する町屋を整備し
かつての街並みを復元するところまで出来れば
それらを超える事さえ出来るのではないかとまで思えました。
それほど秋田型町家には魅力があるという事です。

そして、ブルーノ・タウトやイザベラ・バードが残した言葉を借りて
その魅力を世界に向けて発信していければと思います。

ブルーノ・タウトが日本を去る時に
日本人に向け残したメッセージ、
「世界に誇る文化を磨き上げ、次期オリンピックまでに
 新しい大きな文化を打ち立てて欲しい」とあるように、
2020年の東京オリンピックまでにある程度の成果を残せるように
取り組んでいければと思います。

ご協力いただいた関係者の皆さんに感謝申し上げます。

2015年11月12日木曜日

ぐるっと文化財マップ 見て楽しい、歩いて楽しい 新屋地区編

新屋地区の「ぐるっと文化財マップ」はこちらからダウンロードすることができます。

ぜひご利用ください。

http://www.city.akita.akita.jp/city/ed/cl/illust-map/H22/default.htm

駐車場のご案内

11月15日(日)開催の
ブルーノ・タウト来秋80周年記念イベント
古い町家で新しいまちづくりへお越しの際は
下記の渡邉幸四郎邸の裏手にある
旧新政跡地無料駐車場をご利用下さい。
出入り口は新屋表町県道65号線からになっております。

利用時間13:00〜18:00

ブルーノ・タウト来秋80周年記念イベント 渡辺敏男

本ブログでもご紹介した
盛岡市鉈屋町の一連の活動の中心的存在である
渡辺敏男さんを講師に迎え
「暮らしの息づく歴史まちづくり」をテーマにご講演いただきます。

渡辺敏男
 1951年東京都出身。
 1973年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。
 1980年盛岡に設計同人設立、現在代表取締役。
 盛岡市の城下町で町家や伝統建築が数多く残る鉈屋町地区に
 都市計画道路が計画された事を契機に、
 地元住民と専門家を中心に2003年「盛岡まち並塾」を設立し
 道路問題に対して町家とそのまち並み、
 寺社及び歴的建造物群の重要さを理解してもらう取り組みを開始。
 以後独自に町家を修理し3件保存活用を実施した他、
 同時に市内の歴史的資源の保存活用も進め 
 2008年についに道路計画は廃止見直しとなる。
 原則的に行政に頼らない住民主体の活動で
 専門家、行政、支援団体、マスコミが側面から
 下支える構造が短期間に成果を生み出し、
 きちんとした歴史的な資源調査をもとに、
 地域の確かな歴史文化をあぶりだして
 まちづくりに繋げることが重要としている。


ブルーノ・タウト来秋80周年記念イベント 秋田中央建築士会青年部

2、渡邉幸四郎邸の過去、現在、未来 
その3 家屋調査報告

新素材を使用し最新式の耐震工法が施された現代の建築とは異なり
金物や釘を一切使用せずに、木材と土と石だけで建てられた伝統建築は
定期的に補修していかなければ、時とともに朽ちて、どんどん傷んでしまい、
最終的には莫大な費用がかかり、最悪の場合修繕不能となってしまいます。
その代わり、こまめに手を加えたならば、100年以上使い続けることもできる
先人の知恵と技術が結集された建築であるとも言えます。

今回は秋田中央建築士会青年部の皆さんにご協力いただき、
渡邉幸四郎邸の現状、損傷の進具合などを
先日実施した家屋調査を元に報告していただき、
実際に必要な工事やその費用に及びところまで
お話ししていただきます。

渡邉幸四郎邸は明治23年の建築と推定されておりますが
屋根裏に入ってみると、とんでもないものが発見されました。

寺院仏閣以外で、これが残っているところがあるのでしょうか?

詳細は当日発表されるはずです。

ブルーノ・タウト来秋80周年記念イベント NPO法人新屋参画屋

2. 渡邉幸四郎邸の過去、現在、未来 
その2、渡邉幸四郎邸の記憶と思い出
 〜町家の生い立ちと縁のある人物の思い出からスト−リーを思い描く〜        語り部 NPO法人新屋参画屋 理事長 冨野昭雄氏                         副理事長 藤澤浩氏

生まれも育ちも新屋表町の冨野理事長さんは
幼い頃からの思い出や昔の新屋の様子はもちろん、
独自に長年にわたり調査された膨大な知識と情報を兼ね備えた
新屋の生き字引のような方です。

地域活動にも長年ご尽力されており、
武雄市から遺族を受け入れての戊辰戦争戦没者慰霊祭などでも
先頭をきって取り組まれておられます。
今回も「子供の頃は遊び場だった」という渡邉幸四郎邸について
新屋のお話しも交えながら
同じく新屋出身の藤澤副理事長さんとご一緒にお話ししていただきます。

イベント終了後に渡邉幸四郎邸へ移動した際には
現地ガイドもしていただきます。

ブルーノ・タウト来秋80周年記念イベント 平元美沙緒

秋田でまちづくりといえば、多くの場面で活躍されてきている平元さん。
しかも伝統建築のスペシャリストでもあり
大好評の「文化財マップ」の制作の立ち上げから関わってこられたという、
今回のイベントのテーマにどんぴしゃりの方です。
先月事前に実施した渡邉幸四郎邸の家屋調査でも
その専門性を活かして熱心に調査されていました。
今回は伝統建築とういう視点から、
渡邉幸四郎邸の特徴をお話しいただくとともに
町家や古いまち並みを見学する際の見方や楽しみ方なども
アドバイスしていただきます。


平元 美沙緒(ひらもと みさお)

●1983年
徳島県徳島市に生まれる

●1996年
美大卒の母親の影響で,インテリアに興味をもつ
「建築」「住生活」の分野を
学びたいと考えるようになる

●2002年
高知女子大学で建築を学ぶ
ある講義で「京町家」の構造を知り,
その美しさは生活の美であることに感銘を受け,
古建築にめざめる

●2006年
奈良女子大学大学院で文化財(建造物)を学ぶ
建造物の保全について研究するなかで,
「地域づくり・まちづくり」の重要さに気づく

●2008年
結婚を機に秋田県秋田市に移住
秋田市教育委員会文化振興室に勤務する傍ら
秋田のまちづくりについて学ぶ

●2011年
夫の転勤により秋田県大館市に移住

●2012年
大館市教育委員会教育研究所に転職
キャリア教育コーディネーターとして勤務

●2013年
第一子となる娘の出産を機に退職

●2014年
夫の転勤により秋田県横手市に移住
まちづくりファシリテーターとして活動中
※以上本人ブログより抜粋

本イベントの実行委員長。

今年度は新屋のまちづくりワークショップ等で
ファシリテーターとしても活躍中。

平元さんのブログ "section A"

ブルーノ・タウト来秋80周年記念イベント 加賀屋さつき

久保田の町家について調査する中で、
必ずと言っていいほど行き当たるのがブルーノ・タウトですが
タウトが秋田を訪れ、勝平得之が案内した事をテーマにした論文を
ある日たまたま見つけ、この論文を書いた張本人が
加賀屋さんだったという訳です。

加賀屋さんは
「タウトが評価した秋田の魅力について―町屋を中心として―」をテーマに
大学の卒業論文を発表され、この論文を要約、加筆した
「タウトと得之と秋田の建築」が
「生誕110周年記念出版 勝平得之の軌跡第1集」に掲載されました。
その内容はタウトと得之のやり取りや町家についてだけはでなく、
独自の調査やインタビューから得られた、
新たなまちづくりへのヒントとなるような提案にも及んでおり
秋田出身で、ここまで考えている人が他にもいるんだなと感激し
いつかお会いしてみたいと思っておりましたが、大学も県外でしたし、
まさかこんな近くにいらっしゃったなんて思いもよりませんでした。

今回 イベントの準備を進めていく中で、幸運にも出会うことのできた
秋田のブルーノ・タウト研究の第一人者で、
唐突なオファーにも関わらず講演を快諾していただきました。

2015年11月11日水曜日

ブルーノ・タウト来秋80周年記念イベント Joelle



Joelleさんは今回のイベントのメインテーマの一つでもある渡邉幸四郎邸の
渡邉家のご親戚にあたると聞いていたので
当初からライブの開催は実現したいと考えていました。
また、メイン会場でもある忠専寺は渡邉家の菩提寺でもあり、
これはJoelleさんに出演していただかない訳にはいかないと思いました。

そういうご縁もあり、
戊辰戦争で佐竹藩の本陣にもなり、
戦没者も埋葬されているこのお寺で
ぜひJoelleさんに戦没者追悼の歌を歌ってもらおうと考えた次第です。

実は以前、Joelleさんがライブでの話された中で
「この曲は戦地へ息子を送り出す母親の気持ちを歌ったものです」
と言っていたのを思い出し、
オープニングセレモニーとして今回それを実現するに至りました。
しかも、アカペラです。

どんな曲は、当日会場に来ていただいてからのお楽しみです。

勝平得之の創作版画









































ブルーノ・タウトが秋田を訪れた時に案内したのが勝平得之でしたが、
その際創作版画を依頼され、タウトの著書
"House and people of Japan(日本の家屋と国民)」
の口絵版画として使われたのが
今回ポスターにも使用させていただいたこの版画です。
初版用の2000部の全てを得之自ら創作し、
タウトもその出来栄えには大変喜んだのだそうです。
この貴重な書籍は、秋田市立赤れんが郷土館でも公開されており
少し重たい表紙をめくってみると、この版画を見ることができます。

今回のイベントを企画するにあたり、
ポスターにはどうしてもこの版画を使いたいと考えておりましたが
赤れんが郷土館、勝平新一さんのご協力で実現することができました。



2015年11月5日木曜日

動物園&まちづくり

先日知人の頼みで、
秋田市新屋にある大森山動物園へ象の堆肥を買いに行ってきました。
丁度休日で天気も良く、
430台ある無料駐車場は11:00ですでに満車で
周辺の路上にも沢山の車が溢れ出し、
路肩は駐車する車でほぼ程埋め尽くされる程で驚きました。

年間来場者数25万人。
調べてみると冬期は休業しているので
約10ヶ月でこれだけの人が訪れているそうです。
こんなに人が集まる場所って、
秋田市にどれだけあるんでしょうか?
公共施設を除けば、ちょっと思いつきません。

この25万人が動物園の帰りに立ち寄って
買物や食事をして行く流れをつくる事が出来たら、
これはかなりのビジネスチャンスになり得るのでは?

すぐ近くの新屋商店街には多くの空き店舗があり。
空地も少なくない。

新たに人を呼び集める事無く、
既に目の前まで来ている25万人もの人に対しての
ビジネスチャンスがあるという訳です。

それを踏まえての、「古い町家で新しいまちづくり」
を皆さんと一緒に考えて行ければと思います。

2015年10月25日日曜日

ブルーノ・タウト80周年記念イベント 古い町家で新しいまちづくり





会期 平成27年11月15日(日)
   13:00開場 13:30開演
会場 忠専寺 秋田市新屋栗田町27-8
   ※途中「渡邉幸四郎邸」の現地見学の為に移動を伴います。(徒歩)

主催 ブルーノタウト来秋80周年記念イベント実行委員会
共催 NPO法人新屋参画屋
後援 秋田県(予定)、秋田市、秋田県教育委員会、秋田市教育委員会、   
秋田中央建築士会、秋田市新屋振興会、新屋商店会、   
ABS秋田放送、AKT秋田テレビ、AAB秋田朝日放送、エフエム秋田、   
秋田魁新報社、毎日新聞秋田支局、朝日新聞秋田総局、読売新聞秋田支局、  
秋田経済新聞


目的 
江戸時代初頭、初代久保田藩主佐竹義宣により作られた城下町は、
当時の京のまちづくりを手本とした日本の美意識が凝縮された物でありました。
町並みの景観美は代々継承され明治から昭和初期にかけて
秋田を訪れたイザベラバードやブルーノタウトといった
海外の文化知識人の目から見ても高く評価される程でした。
 しかしながら明治の大火事や戦後の近代化に伴う都市開発により、
伝統建築物は徐々に解体処分され、昭和36年の秋田国体を契機に
美しい町並みは完全に破壊されてしまったのです。 
その一方で、秋田市内にも明治期以降の町家はある程度残っており、
特に新屋表町には三件の国登録有形文化財をはじめ、
同等の建物を含む10数軒もの町家が纏まって残っています。
 本イベントは、新屋の町家、渡邊幸四郎邸を題材に
町家についての理解を深めると同時に、町家の価値を広く知らしめ
秋田の新しいまちづくりへの活用の可能性を探る機会とします。
 目指すところは、残された貴重な建物を暮らしのなかの
現役の場所としていかに活用し引き継いでいくか、
文化財保護行政の枠を超えて、民間を主体とした
新しい保存・活用のスタイルを確立することにあります。


オープニングセレモニー 戊辰戦争戦没者追悼 歌:Joelle

プロローグ 〜後世に受け継がれた佐竹義宣のまちづくり
世界を魅了する日本の美意識が息づく、佐竹義宣のまちづくりとは?


1. 得之とタウトの足跡を尋ねて 加賀谷さつき氏 
  秋田の版画家、勝平得之が案内、ブルーノ・タウトが賞賛した
 まち並について解説します。

2. 渡邉幸四郎邸の過去、現在、未来 
 その1、新屋町屋探訪 古い町並の見方、楽しみ方と渡邉幸四郎邸のみどころ
「ぐるっと文化財マップ」を片手に歩いてみよう     
 講師:平元美沙緒氏 

その2、渡邉幸四郎邸の記憶と思い出 
    〜町家の生い立ちと縁のある人物の思い出からスト−リーを思い描く〜        語り部 NPO法人新屋参画屋 理事長 冨野昭雄氏                                                  副理事長 藤澤浩氏

 その3、家屋調査報告 発表:秋田中央建築士会青年部
             建物の状態、修繕費用の試算、文化的な価値について 

3. 暮らしの息づく歴史まちづくり」盛岡市鉈屋町の取り組みなど
    講師:渡辺敏男氏(盛岡まち並塾事務局長)


エピローグ 〜ブルーノ・タウトが残した私たちへのメッセージ〜  

2015年9月20日日曜日

ブルーノタウトのメッセージ



今から80年前の昭和10年(1935年)に秋田に訪れた
世界的な建築家ブルーノタウトは桂離宮、京都の町並、白川郷といった
日本の伝統建築に心揺さぶられ、それらを世界に紹介した最初の異人です。

そんなタウトが賞賛した当時の秋田の町並も
初代久保田藩主佐竹義宣の美意識が脈々と受け継がれていたこそ
タウトに京都の茶の湯文化に通じる物があるとまで言わしめた
美しい町並だったのだと想像します。

佐竹義宣にも影響を与えたであろう、
織田信長が見いだしそれを継承した豊臣秀吉が
千利休の審美眼を最大限引き出しつつ開花させた日本の美意識に
深い理解と感動を示していたのではないかと
タウトが日本を去る時に残したこのメッセージからも感じる事ができます。


「日本は世界に優れた物を沢山持っています。
 それらをより良い物に磨き上げ、
 新しい大きな文化を打ち立てて欲しいのです。
 その時こそ、日本が世界に君臨する時であり、
 必ずやその日は訪れるでしょう。
 そしてその優れた物は、
 優れた皆さん日本人の力によって作られるでしょう。
 私は随分とそういった日本の良い物を目にしましたが
 それは本当に世界に優れた物です。
 安価で粗悪な文明は決して人類を飛躍させる物ではありません。
 深く真に徹した文明こそ、日本を羽ばたかせる根源になるでしょう。
 そんな日が訪れた時に、私はまた日本に戻ってきたいと思います。
 それは今度オリンピックが日本で開催される時でしょう。
 その日を楽しみにして、日本から旅立ちたいと思います。」


2020年2度目のオリンピックの開催を迎えるにあたり、
タウトのメッセージは80年の時を経て
まるで現代の私たちに訴えかけているかのようです。

「深く真に徹した文明こそ、日本を羽ばたかせる根源になるでしょう」

秋田のまちづくりにおいても、
タウトが残してくれたこのメッセージを受け止め
今後訪れる現代の異人が感動するような、
そんな美しい町並にしていければと思います。

2015年9月2日水曜日

建築家 ブルーノタウト

昭和10と11年の2度に渡り秋田に来たブルーノタウト。
版画家勝平得之の案内で秋田市に残っていた町家や町並を見て回り絶賛し、
「北東北の京都だ!」と語った。
著書にも多く残されている。

2015年2月23日月曜日

神社を訪ねて

秋田市の太平地域は古民家が多く残っており
県の調査対象として記録されているものだけでも
江戸時代の古民家が8軒、明治時代が3軒と
火災の影響で古い建物が殆ど残っていない
城下町に比べると纏まった形で残っていると言えます。
縄文時代から集落があった痕跡もあり
歴史的にも大変興味深い地域でもあります。
とはいえ、殆どの古民家は現在もなお住居として使われているもので
周辺にも住宅が数多くある事もあり、
一般の人が見学に行ったり出来る環境にはありませんが
今後住む人がいなくなってしまったとしても
解体される事無く、何らかの形で保存してほしいものです。
実際空家と見受けられる古民家が1軒ありました。

古くから集落が形成される地域と言う事で
当然神社も多い地域です。

若宮八幡宮は応安乙酉年(1369)創立で
安藤氏や佐竹氏によっても管理された由緒ある神社です。

参道両脇には数百年級の欅の大木が

火災により焼失し、昭和12年に再建された現在の本殿 

 本殿から見下ろす広大な境内。参道入り口の鳥居が遠くに見えます。


境内には真っすぐに伸びる杉の大木が何本も。


 若宮八幡神社から車で数分の距離に、勝手神社があります。
創建は鎌倉時代と大変古く、現在の地に移されたのは明暦6年(1666)です。
運慶作と伝えられる仏頭や文化9年(1812)作の人面顔狛犬も残されています。


樹齢不明の御神木

樹齢300年の杉並木


本殿は明治8年の改築で昭和43年に銅板葺きに改築されました。

余談ですがこの勝手神社のある黒沢部落は箕(み)の特産地だったらしく、
この神社の授け給わる門外不出の技術であったそうです。
いまでもこの技術、残っていたらいいのですが。
※箕(み)農作業等で使う大きな手編みのちりとりのような道具。
現代ではプラスチック製品で同型のものがホームセンター等で売られている。


どんな小さな集落に行っても必ずと言っていい程見つけられる大小様々な神社。

かつてはお寺と併設されていたり、
今でいうコミュニティーセンターのような役割も担っていた場所です。

日本の数百年の歴史を想像しつつ、境内でゆっくり過ごすのも格別なひと時です。

巨木を訪ねる

秋田市内で開催された材木販売会に行って来ました。
杉、欅、松、栗、楢などなど、
銘木の数々が圧巻でした。


神社の境内には大きな杉の大木が植えられたいますが
注連縄が締められ御神木として崇められたのか、
本殿等の修繕の為に植えられたのか、
立派な巨木を多く見る事ができます。

秋田県は巨木が多く、天然記念物に登録されている物も沢山あります。
明治以降に廃寺となっても木だけが残されている物も多い様に思われます。
樹種も杉、欅、銀杏等色々あるので、
探して回るのも面白いかもしれません。

2015年2月17日火曜日

飛騨高山の吉島家

今まで2度訪れた飛騨高山にある大きな町家、吉島家
 

明治8年に焼失し翌年再建されたが30年後に再び焼失。
経済状況も厳しい中、名工とうたわれた西田伊三郎と四代目当主が
「どうせ造るなら、最高の材料で最高の物を造ろう」と
当時最高の材料と技術を持って建てられたのが現在の建物です。


そんな逸話が二階の壁に展示されてまいました。

もしまた近くに行く事が有れば、
多少時間が掛かってもまた訪れたいと思わせる、
そんな魅力のある町家です。

2015年2月14日土曜日

伝統建築の移築と活用

鹿児島県霧島市に
茅葺きの古民家を6軒も移築して造られた温泉宿泊施設
忘れの里 雅叙宛があります。

古民家風の温泉旅館は全国各地にいくらでもありますが
昭和50年代に大規模大型温泉施設の建築ラッシュのさ中
忘れ去られた日本の原風景をコンセプトにするような所は無く、
今では珍しく無くなった温泉付個室を初めて造ったのも
田島社長だったそうです。

食事も全国どこにいっても似たり寄ったりの懐石料理が当たり前の時代に
いわゆる地産地消の地の物をいち早く提供し、
野菜の栽培や地鶏の飼育まで自社で行なっていたそうです。

秋田県にも空き家となった茅葺きの古民家は沢山有るし
かつて旅館であった大正時代の建物も残っています。
中には京都から移築したと伝えられる旅館や
昭和10年にブルーノタウトが実際に宿泊した旅館も
廃業した状態で現存しています。

伝統的な建物を有効に活用し
その収益の中から修繕費用を賄える様にする事で
持続可能な保存が可能になります。
こういった施設が実際に存在しており
大仙市強首の樅峰苑(大正時代)や
秋田で最も有名な温泉鶴の湯の本陣(江戸初期)も民間経営で
実際に古い建物に宿泊出来る温泉宿として大変人気を博しています。

町営の宿泊施設で温泉は付いていませんが、素泊まりで安く泊まれる茅葺きの古民家
盆城庵も五城目町にあります。貸切で人里離れた場所に有るので
釣り人にも人気の宿で隣には農家レストランもあります。


樅峰苑内部

2015年2月13日金曜日

旧料亭金勇 有形登録文化財


秋田県能代市にある旧料亭金勇
昭和12年の建築で外観は七つの入母屋が交差した屋根、
広縁の下屋の重なり合いが調和して3層以上の多重層に感じられる
2階建てのとても大きな木造建築です。
総勢45名の大工によりつくられ
材料も天然秋田杉を中心に県内外から10種類の銘木を取り寄せたそうで
今同規模の建物を造ろうとしても
材料の調達や伝統的な匠の技術の衰退等を考えると
いくらお金を積んでも造る事は出来ないでしょう。
県内でも随一の林業で栄えた能代、「木都」の名に相応しい、
秋田県を代表する伝統建築の一つです。
平成25年より全体の修繕再生を経て一般公開されています。

二階は110畳もの広さをもつ大広間となっており
天井には天然秋田杉の1枚の大きさが1畳分ある材をしようしており
天然秋田杉がブランド化され全国に知れ渡るようになる前から
いち早く銘木として使用した物でした。

1階の部屋からは美しい庭園を眺める事が出来き
四季折々の情緒を堪能出来る空間となっております。

見学の入場は無料で
各部屋は使用料を支払えば
イベントや展示会場等として使用する事もできます。

同等の規模、使用される材料の希少さから言って、
同じような伝統建築は他では殆ど見る事も出来ませんので
是非一度見学に訪れてはいかがでしょうか。

2015年2月12日木曜日

観光拠点としての文化財利用(天徳寺〜如斯亭)

関ヶ原の合戦後の江戸幕府の成立により
佐竹氏は出羽国へと転封となり現在の秋田市に居城を構え
慶長7年(1602)久保田藩が誕生しました。

佐竹氏の菩提寺として現在の楢山に天徳寺が移転しましたが
寛永元年(1624)、火災により総門を残して全焼。
9年の歳月をかけて現在の泉に再建され今に至ります。


本堂、書院、山門、総門、佐竹家霊屋が重要文化財に指定され、
十六羅漢像など多くの寺宝が市の文化財に指定されています。
屋根は茅葺きで毎年少しずつ補修され美しいシルエットを保っています。
一般公開はされておりませんが、それでもカメラを手にした参拝客が
日常的に訪れているようで、内部には佐竹氏の遺物も展示されております。

天徳寺から徒歩10分の距離にあるのは
旧佐竹藩主佐竹氏別邸庭園如斯亭です。
藩主の鷹狩りの際の御休所や藩の迎賓館、文人 墨客の
交友の場として大いに活用されました。
寛保元年(1741)に当時の藩主に庭園が整備され、
園内には茶室もあり、かつては遠州流の流れをくむ庭園として称されました。
明治以降民間所有となり残念ながら戦後に母屋と庭園の一部を残して
宿泊施設に改築されましたが、平成19年には国の名勝にも指定を受け
現在一般公開に向けた修復整備中です。
母屋も一部現存しており、復元されれば新たな観光施設として
蘇ると期待されています。

天徳寺と如斯亭は徒歩圏内ですので
例えば如斯亭の完成に合わせて天徳寺も一般公開されるようになれば
観光スポットが少ないと言われている秋田市の
新たな観光エリアとしても期待が持てます。
現在検討中の外旭川駅の予定地も近いので
もし駅が設置されれば将来的に千秋公園から秋田駅を経由し
電車で回遊する流れも考えられます。

そうなってくると、天徳寺から保戸野及び如斯亭から秋田駅に通じる
街道沿いの商店街は空き店舗が多いので
お土産屋や飲食店等が出店する事で地域への経済効果も期待が持てるはずです。

歴史的な文化施設は観光スポットとしても人気がありますし
観光客が増える事で地域経済も潤い
地元の経済圏だけでは成立しないような店舗やビジネスにもチャンスが生じます。
住む人にとっても、訪れる人にとっても楽しめるまちへと
観光の力でつくりあげていくのも、一つのアイディアではないでしょうか。


2015年2月11日水曜日

町家の保存

連続ドラマ小説のロケ地としても使われている
愛知県犬山市にある博物館明治村には
国指定重要文化財10件を含む67件の建物と施設物が保存されています。
明治以降、近代日本の芸術的、歴史的かちのある文化財の保存を図るため
全国各地のみならず、海外からも移築復元を行い
100万平方メートルもの敷地に公開されています。


石川県金沢市の郊外にある涌湯温泉郷には
江戸時代の加賀藩を中心とした古民家が
農家、武家屋敷、商家、宿場問屋、武家門と8軒展示されている
金沢涌湯江戸村があります。

茅葺き屋根の文化を継承する取り組みも行なわれており
茅を供給する為の萱場や茅葺きの技術者を育成する取り組みも
同施設で行なわれているそうです。
 茅文化をつたえる


美しい町家の木組み



商家の奥にある茶室「通楽庵」



むき出しの茅葺き屋根裏

他にも国指定重要文化財の越前鯖波宿の本陣、石倉家は
寺の庫裏を思わせる大きな反りのある切妻を持つ1800年頃の建物で
参勤交代等の際は大名の宿としても利用され
茶室や専用の門も現存しています。



秋田にも江戸時代に佐竹藩の大名の宿としてつかわれた建物が残っていますが
現在も住居として使われていると言う事もあり
その歴史的価値と文化的利用価値が認められないままの状態ではありますが
現代のライフスタイルに見合った形に変わって残っている事も
歴史の1ページとして考えなければいけないのかもしれません。

同じく重要文化財の大変珍しい茅葺きの民家、旧園田家は
紙すき農家で紙すきの道具も現存展示されています。
特徴的な馬蹄型のヒダチ(排気口)を持つ茅葺きの屋根が印象的で
背面の庇にも珍しい笹葺きが見られる貴重な建物です。
農家の生活空間と紙すきの職人の工房が共存する大変珍しい農家です。




秋田にも似たような施設として
横手市雄物川町に「木戸五郎兵衛村」があります。
江戸〜大正期の茅葺き古民家が4軒移築復元されていて
通年で見学が出来ます。



以上のように保存復元展示という形で
建物を残していくやり方もありますが
長い目で考えるとやはり維持管理費用がかかってくるので
それを入場料と助成金に依存してしまうと継続は容易な事では有りません。

中心市街地が空洞化している今、
かつて美しい町並みと評された城下町の風情を感じられるまちづくりとして
現在空き家となっている町家を未利用の空地に移築復元し
それを飲食店や各種小売店やお土産屋などとして利活用するのも
貴重な文化財を持続可能な形で保存する方法の一つではないでしょうか。
移築、復元にはそれなりの資金が必要ですが
建物の維持、修繕に掛かる費用は家賃で賄う事もできるし
土地の固定資産税等でも優遇する事ができれば土地所有者にとっても
メリットは大きい上、観光客が増えれば地域にとっても喜ばしい事です。
京都や金沢ではこういった形で古い町並みが守られ徐々に復元されてきています。
土地や建物を債券化して出資を募ったり、町家ファンドとして
助成金に依存しない、市民の協力からも成り立っています。

秋田市の新屋商店街や牛島商店街や旭南商店街には
まとまった形で町家がまだ残っています。
足りない部分を空地に移築復元と言う形で補い
大町や中通にも点在する古い建物を商業テナント、観光案内所、
文化施設、行政施設等として再生させれば
市内を公共施設や自転車、徒歩で回遊出来る
地域住民にとっても観光客にとっても魅力的な町になっていくと思います。

2015年2月10日火曜日

旅路へ

秋田市立千秋美術館のコレクション展 旅路
を観に行ってきました。

秋田街道絵巻の上巻が展示してあり
江戸時代の羽州街道沿いの八橋、土崎の町並みを見る事ができます。

他にも歌川広重、佐竹曙山、小田野直武、平福穂庵、平福百穂の掛け軸も
展示してありました。
秋田県五城目出身の館岡栗山の作品も展示してあり
京都の風景を描いた大作や
秋田県以外の題材の作品を初めて見る事ができました。
素晴らしい作品の数々でした。

4月5日まで開催しており、
入館料は大人300円、大学生200円、高校生以下無料でした。

くわしくは、こちら

2015年2月9日月曜日

金沢探訪

金沢は久保田と同様にやはり京都をモデルとした城下町で
豊臣秀吉の5大老の1人であった前田利家が発展させ栄えた町です。
武家屋敷、町家、蔵、神社仏閣、洋館など
とても一日だけでは回りきれない程数多くの建築があります。
また、観光スポットも多く、
兼六園、金沢城、21世紀美術館もあったり、
百貨店、雑貨店、ブティックなどショッピングも楽しめ
まちを歩いていると多種多様な飲食店や
近江町市場のような地場の食材や特産品を扱うところも多く見られ
食文化の旺盛さを感じる事が出来ます。
500円の一日バス乗り放題チケットもあり
観光用の巡回バスだけでなく路線バスに乗って観光する事も出来ます。
金沢市公式観光ガイド

重要伝統的建造物群保護地区にも指定されている
ひがし茶屋街は保存地区内の建築物140軒のうち約3分の2が伝統建築物で
中でも文政3年(1820)に建てられた当時のままに残っているお茶屋
国の重要文化財「志摩」があります。
現在は観光施設として一般公開されています。
※内部は携帯や小型カメラのみ撮影可能です。

ひがし茶屋街の二番町


金沢独自の文化である朱壁

なかの間


全て襖の引手や装飾品には手の込んだ細工が
写真は七宝の加工


台所も当時のまま保存


食器


地下には食品保存庫もあります。



ひがし茶屋休憩所では典型的な金沢町家を見られます。
観光ガイドもこちらおられます。

金沢も平入の町家です。
現役の米屋さん。



2階部分はこちらも金沢特有の群青壁



もてなしの心遣いを感じます。



茶屋街周辺にもおもしろい町家が沢山みられました。

3階建ての町家 



こちらは古着屋さん

金沢には町家を大切に残し使っていこうという文化があり
伝統的建築物を修復していく職人を育成する金沢職人大学校があったり
古い町家を斡旋する金沢R不動産のような会社もあります。

しっかりと経済が回り、
収益を上げながら無理の無い方法で町家を残し活用していく手段として
金沢には良きお手本になる事例が沢山あります。

2015年2月7日土曜日

建築観光秋田

秋田県には観光で見て頂きたい建築が数多く有ります。
国指定重要文化財が24件、
登録有形文化財が171件(77カ所)
重要伝統的建造物群保護地区が2カ所もあります。


角館町は重要伝統的建造物群保護地区で
佐竹藩北家の武家屋敷が多く残り
町家や古民家も多数点在しています。



増田町も重要伝統的建築物群保護地区で
漆塗り壁の蔵や秋田県特有の妻入りの町家が多く残っています。



湯沢市には酒蔵や町家や屋敷等の登録有形文化財が点在し
他にも白井晟一(せいいち)の建築が多く残る事でも有名です。
白井晟一は第二次大戦前までドイツに留学し
帰国後建築家になった人物で
大戦中に湯沢市に疎開をしていた縁で
数多くの建築を残しており、今でも建築愛好家が見学に訪れているようです。

両関の酒蔵も内部の一般公開はしていませんが
これほど巨大な酒蔵は国内でも希少な物だと思われます。



秋田市金足の秋田県立博物館に程近い
旧奈良家住宅は江戸時代中期の宝暦年間(1751〜1763)の建築で
両中門造りの秋田県中央沿岸部の代表的な大型農家建築です。
一般公開もされています。


佐竹藩の菩提寺である天徳寺は1687年の建立で、
開口役30メートルの大建築で東北でも最大クラスの茅葺き屋根が特徴です。
山門は1709年の建立、で三間一戸、瓦葺きの桜門です。
境内入り口の総門は1676年の建立、切妻造の四脚門です。



全国花火競技大会で有名な大仙市にある古四天王神社は
元亀元年(1570)に飛騨の匠である甚兵衛が建てたと言われています。


旧日本石油秋田製油所「被爆倉庫」は
第二次大戦最後の空爆による熱で溶けた鉄筋コンクリートの跡が見られる戦争遺産で
現在一般公開はされていませんが今後市が保存、公開へ向け計画中です。




秋田市大町の旧金子家は
秋田市に現存する典型的町家で唯一一般公開をしている施設です。




以上はほんの一部で
日本最古の芝居小屋「康楽館」や
前回ご紹介した大正時代の大屋敷を改築した温泉宿の樅峰苑など
他県にはあまり見られないような建築もあるので
数日掛けて秋田の建築を巡りつつ、豊かな自然に癒され
美味しい地酒や地場の食材を楽しむ小旅行をしていただけると
より秋田の良さをお楽しみ頂けると思います。
留学生や建築系の学生向けの修学旅行等もいかがでしょう。