2015年9月20日日曜日

ブルーノタウトのメッセージ



今から80年前の昭和10年(1935年)に秋田に訪れた
世界的な建築家ブルーノタウトは桂離宮、京都の町並、白川郷といった
日本の伝統建築に心揺さぶられ、それらを世界に紹介した最初の異人です。

そんなタウトが賞賛した当時の秋田の町並も
初代久保田藩主佐竹義宣の美意識が脈々と受け継がれていたこそ
タウトに京都の茶の湯文化に通じる物があるとまで言わしめた
美しい町並だったのだと想像します。

佐竹義宣にも影響を与えたであろう、
織田信長が見いだしそれを継承した豊臣秀吉が
千利休の審美眼を最大限引き出しつつ開花させた日本の美意識に
深い理解と感動を示していたのではないかと
タウトが日本を去る時に残したこのメッセージからも感じる事ができます。


「日本は世界に優れた物を沢山持っています。
 それらをより良い物に磨き上げ、
 新しい大きな文化を打ち立てて欲しいのです。
 その時こそ、日本が世界に君臨する時であり、
 必ずやその日は訪れるでしょう。
 そしてその優れた物は、
 優れた皆さん日本人の力によって作られるでしょう。
 私は随分とそういった日本の良い物を目にしましたが
 それは本当に世界に優れた物です。
 安価で粗悪な文明は決して人類を飛躍させる物ではありません。
 深く真に徹した文明こそ、日本を羽ばたかせる根源になるでしょう。
 そんな日が訪れた時に、私はまた日本に戻ってきたいと思います。
 それは今度オリンピックが日本で開催される時でしょう。
 その日を楽しみにして、日本から旅立ちたいと思います。」


2020年2度目のオリンピックの開催を迎えるにあたり、
タウトのメッセージは80年の時を経て
まるで現代の私たちに訴えかけているかのようです。

「深く真に徹した文明こそ、日本を羽ばたかせる根源になるでしょう」

秋田のまちづくりにおいても、
タウトが残してくれたこのメッセージを受け止め
今後訪れる現代の異人が感動するような、
そんな美しい町並にしていければと思います。

2015年9月2日水曜日

建築家 ブルーノタウト

昭和10と11年の2度に渡り秋田に来たブルーノタウト。
版画家勝平得之の案内で秋田市に残っていた町家や町並を見て回り絶賛し、
「北東北の京都だ!」と語った。
著書にも多く残されている。