2015年2月23日月曜日

神社を訪ねて

秋田市の太平地域は古民家が多く残っており
県の調査対象として記録されているものだけでも
江戸時代の古民家が8軒、明治時代が3軒と
火災の影響で古い建物が殆ど残っていない
城下町に比べると纏まった形で残っていると言えます。
縄文時代から集落があった痕跡もあり
歴史的にも大変興味深い地域でもあります。
とはいえ、殆どの古民家は現在もなお住居として使われているもので
周辺にも住宅が数多くある事もあり、
一般の人が見学に行ったり出来る環境にはありませんが
今後住む人がいなくなってしまったとしても
解体される事無く、何らかの形で保存してほしいものです。
実際空家と見受けられる古民家が1軒ありました。

古くから集落が形成される地域と言う事で
当然神社も多い地域です。

若宮八幡宮は応安乙酉年(1369)創立で
安藤氏や佐竹氏によっても管理された由緒ある神社です。

参道両脇には数百年級の欅の大木が

火災により焼失し、昭和12年に再建された現在の本殿 

 本殿から見下ろす広大な境内。参道入り口の鳥居が遠くに見えます。


境内には真っすぐに伸びる杉の大木が何本も。


 若宮八幡神社から車で数分の距離に、勝手神社があります。
創建は鎌倉時代と大変古く、現在の地に移されたのは明暦6年(1666)です。
運慶作と伝えられる仏頭や文化9年(1812)作の人面顔狛犬も残されています。


樹齢不明の御神木

樹齢300年の杉並木


本殿は明治8年の改築で昭和43年に銅板葺きに改築されました。

余談ですがこの勝手神社のある黒沢部落は箕(み)の特産地だったらしく、
この神社の授け給わる門外不出の技術であったそうです。
いまでもこの技術、残っていたらいいのですが。
※箕(み)農作業等で使う大きな手編みのちりとりのような道具。
現代ではプラスチック製品で同型のものがホームセンター等で売られている。


どんな小さな集落に行っても必ずと言っていい程見つけられる大小様々な神社。

かつてはお寺と併設されていたり、
今でいうコミュニティーセンターのような役割も担っていた場所です。

日本の数百年の歴史を想像しつつ、境内でゆっくり過ごすのも格別なひと時です。

巨木を訪ねる

秋田市内で開催された材木販売会に行って来ました。
杉、欅、松、栗、楢などなど、
銘木の数々が圧巻でした。


神社の境内には大きな杉の大木が植えられたいますが
注連縄が締められ御神木として崇められたのか、
本殿等の修繕の為に植えられたのか、
立派な巨木を多く見る事ができます。

秋田県は巨木が多く、天然記念物に登録されている物も沢山あります。
明治以降に廃寺となっても木だけが残されている物も多い様に思われます。
樹種も杉、欅、銀杏等色々あるので、
探して回るのも面白いかもしれません。

2015年2月17日火曜日

飛騨高山の吉島家

今まで2度訪れた飛騨高山にある大きな町家、吉島家
 

明治8年に焼失し翌年再建されたが30年後に再び焼失。
経済状況も厳しい中、名工とうたわれた西田伊三郎と四代目当主が
「どうせ造るなら、最高の材料で最高の物を造ろう」と
当時最高の材料と技術を持って建てられたのが現在の建物です。


そんな逸話が二階の壁に展示されてまいました。

もしまた近くに行く事が有れば、
多少時間が掛かってもまた訪れたいと思わせる、
そんな魅力のある町家です。

2015年2月14日土曜日

伝統建築の移築と活用

鹿児島県霧島市に
茅葺きの古民家を6軒も移築して造られた温泉宿泊施設
忘れの里 雅叙宛があります。

古民家風の温泉旅館は全国各地にいくらでもありますが
昭和50年代に大規模大型温泉施設の建築ラッシュのさ中
忘れ去られた日本の原風景をコンセプトにするような所は無く、
今では珍しく無くなった温泉付個室を初めて造ったのも
田島社長だったそうです。

食事も全国どこにいっても似たり寄ったりの懐石料理が当たり前の時代に
いわゆる地産地消の地の物をいち早く提供し、
野菜の栽培や地鶏の飼育まで自社で行なっていたそうです。

秋田県にも空き家となった茅葺きの古民家は沢山有るし
かつて旅館であった大正時代の建物も残っています。
中には京都から移築したと伝えられる旅館や
昭和10年にブルーノタウトが実際に宿泊した旅館も
廃業した状態で現存しています。

伝統的な建物を有効に活用し
その収益の中から修繕費用を賄える様にする事で
持続可能な保存が可能になります。
こういった施設が実際に存在しており
大仙市強首の樅峰苑(大正時代)や
秋田で最も有名な温泉鶴の湯の本陣(江戸初期)も民間経営で
実際に古い建物に宿泊出来る温泉宿として大変人気を博しています。

町営の宿泊施設で温泉は付いていませんが、素泊まりで安く泊まれる茅葺きの古民家
盆城庵も五城目町にあります。貸切で人里離れた場所に有るので
釣り人にも人気の宿で隣には農家レストランもあります。


樅峰苑内部

2015年2月13日金曜日

旧料亭金勇 有形登録文化財


秋田県能代市にある旧料亭金勇
昭和12年の建築で外観は七つの入母屋が交差した屋根、
広縁の下屋の重なり合いが調和して3層以上の多重層に感じられる
2階建てのとても大きな木造建築です。
総勢45名の大工によりつくられ
材料も天然秋田杉を中心に県内外から10種類の銘木を取り寄せたそうで
今同規模の建物を造ろうとしても
材料の調達や伝統的な匠の技術の衰退等を考えると
いくらお金を積んでも造る事は出来ないでしょう。
県内でも随一の林業で栄えた能代、「木都」の名に相応しい、
秋田県を代表する伝統建築の一つです。
平成25年より全体の修繕再生を経て一般公開されています。

二階は110畳もの広さをもつ大広間となっており
天井には天然秋田杉の1枚の大きさが1畳分ある材をしようしており
天然秋田杉がブランド化され全国に知れ渡るようになる前から
いち早く銘木として使用した物でした。

1階の部屋からは美しい庭園を眺める事が出来き
四季折々の情緒を堪能出来る空間となっております。

見学の入場は無料で
各部屋は使用料を支払えば
イベントや展示会場等として使用する事もできます。

同等の規模、使用される材料の希少さから言って、
同じような伝統建築は他では殆ど見る事も出来ませんので
是非一度見学に訪れてはいかがでしょうか。

2015年2月12日木曜日

観光拠点としての文化財利用(天徳寺〜如斯亭)

関ヶ原の合戦後の江戸幕府の成立により
佐竹氏は出羽国へと転封となり現在の秋田市に居城を構え
慶長7年(1602)久保田藩が誕生しました。

佐竹氏の菩提寺として現在の楢山に天徳寺が移転しましたが
寛永元年(1624)、火災により総門を残して全焼。
9年の歳月をかけて現在の泉に再建され今に至ります。


本堂、書院、山門、総門、佐竹家霊屋が重要文化財に指定され、
十六羅漢像など多くの寺宝が市の文化財に指定されています。
屋根は茅葺きで毎年少しずつ補修され美しいシルエットを保っています。
一般公開はされておりませんが、それでもカメラを手にした参拝客が
日常的に訪れているようで、内部には佐竹氏の遺物も展示されております。

天徳寺から徒歩10分の距離にあるのは
旧佐竹藩主佐竹氏別邸庭園如斯亭です。
藩主の鷹狩りの際の御休所や藩の迎賓館、文人 墨客の
交友の場として大いに活用されました。
寛保元年(1741)に当時の藩主に庭園が整備され、
園内には茶室もあり、かつては遠州流の流れをくむ庭園として称されました。
明治以降民間所有となり残念ながら戦後に母屋と庭園の一部を残して
宿泊施設に改築されましたが、平成19年には国の名勝にも指定を受け
現在一般公開に向けた修復整備中です。
母屋も一部現存しており、復元されれば新たな観光施設として
蘇ると期待されています。

天徳寺と如斯亭は徒歩圏内ですので
例えば如斯亭の完成に合わせて天徳寺も一般公開されるようになれば
観光スポットが少ないと言われている秋田市の
新たな観光エリアとしても期待が持てます。
現在検討中の外旭川駅の予定地も近いので
もし駅が設置されれば将来的に千秋公園から秋田駅を経由し
電車で回遊する流れも考えられます。

そうなってくると、天徳寺から保戸野及び如斯亭から秋田駅に通じる
街道沿いの商店街は空き店舗が多いので
お土産屋や飲食店等が出店する事で地域への経済効果も期待が持てるはずです。

歴史的な文化施設は観光スポットとしても人気がありますし
観光客が増える事で地域経済も潤い
地元の経済圏だけでは成立しないような店舗やビジネスにもチャンスが生じます。
住む人にとっても、訪れる人にとっても楽しめるまちへと
観光の力でつくりあげていくのも、一つのアイディアではないでしょうか。


2015年2月11日水曜日

町家の保存

連続ドラマ小説のロケ地としても使われている
愛知県犬山市にある博物館明治村には
国指定重要文化財10件を含む67件の建物と施設物が保存されています。
明治以降、近代日本の芸術的、歴史的かちのある文化財の保存を図るため
全国各地のみならず、海外からも移築復元を行い
100万平方メートルもの敷地に公開されています。


石川県金沢市の郊外にある涌湯温泉郷には
江戸時代の加賀藩を中心とした古民家が
農家、武家屋敷、商家、宿場問屋、武家門と8軒展示されている
金沢涌湯江戸村があります。

茅葺き屋根の文化を継承する取り組みも行なわれており
茅を供給する為の萱場や茅葺きの技術者を育成する取り組みも
同施設で行なわれているそうです。
 茅文化をつたえる


美しい町家の木組み



商家の奥にある茶室「通楽庵」



むき出しの茅葺き屋根裏

他にも国指定重要文化財の越前鯖波宿の本陣、石倉家は
寺の庫裏を思わせる大きな反りのある切妻を持つ1800年頃の建物で
参勤交代等の際は大名の宿としても利用され
茶室や専用の門も現存しています。



秋田にも江戸時代に佐竹藩の大名の宿としてつかわれた建物が残っていますが
現在も住居として使われていると言う事もあり
その歴史的価値と文化的利用価値が認められないままの状態ではありますが
現代のライフスタイルに見合った形に変わって残っている事も
歴史の1ページとして考えなければいけないのかもしれません。

同じく重要文化財の大変珍しい茅葺きの民家、旧園田家は
紙すき農家で紙すきの道具も現存展示されています。
特徴的な馬蹄型のヒダチ(排気口)を持つ茅葺きの屋根が印象的で
背面の庇にも珍しい笹葺きが見られる貴重な建物です。
農家の生活空間と紙すきの職人の工房が共存する大変珍しい農家です。




秋田にも似たような施設として
横手市雄物川町に「木戸五郎兵衛村」があります。
江戸〜大正期の茅葺き古民家が4軒移築復元されていて
通年で見学が出来ます。



以上のように保存復元展示という形で
建物を残していくやり方もありますが
長い目で考えるとやはり維持管理費用がかかってくるので
それを入場料と助成金に依存してしまうと継続は容易な事では有りません。

中心市街地が空洞化している今、
かつて美しい町並みと評された城下町の風情を感じられるまちづくりとして
現在空き家となっている町家を未利用の空地に移築復元し
それを飲食店や各種小売店やお土産屋などとして利活用するのも
貴重な文化財を持続可能な形で保存する方法の一つではないでしょうか。
移築、復元にはそれなりの資金が必要ですが
建物の維持、修繕に掛かる費用は家賃で賄う事もできるし
土地の固定資産税等でも優遇する事ができれば土地所有者にとっても
メリットは大きい上、観光客が増えれば地域にとっても喜ばしい事です。
京都や金沢ではこういった形で古い町並みが守られ徐々に復元されてきています。
土地や建物を債券化して出資を募ったり、町家ファンドとして
助成金に依存しない、市民の協力からも成り立っています。

秋田市の新屋商店街や牛島商店街や旭南商店街には
まとまった形で町家がまだ残っています。
足りない部分を空地に移築復元と言う形で補い
大町や中通にも点在する古い建物を商業テナント、観光案内所、
文化施設、行政施設等として再生させれば
市内を公共施設や自転車、徒歩で回遊出来る
地域住民にとっても観光客にとっても魅力的な町になっていくと思います。

2015年2月10日火曜日

旅路へ

秋田市立千秋美術館のコレクション展 旅路
を観に行ってきました。

秋田街道絵巻の上巻が展示してあり
江戸時代の羽州街道沿いの八橋、土崎の町並みを見る事ができます。

他にも歌川広重、佐竹曙山、小田野直武、平福穂庵、平福百穂の掛け軸も
展示してありました。
秋田県五城目出身の館岡栗山の作品も展示してあり
京都の風景を描いた大作や
秋田県以外の題材の作品を初めて見る事ができました。
素晴らしい作品の数々でした。

4月5日まで開催しており、
入館料は大人300円、大学生200円、高校生以下無料でした。

くわしくは、こちら

2015年2月9日月曜日

金沢探訪

金沢は久保田と同様にやはり京都をモデルとした城下町で
豊臣秀吉の5大老の1人であった前田利家が発展させ栄えた町です。
武家屋敷、町家、蔵、神社仏閣、洋館など
とても一日だけでは回りきれない程数多くの建築があります。
また、観光スポットも多く、
兼六園、金沢城、21世紀美術館もあったり、
百貨店、雑貨店、ブティックなどショッピングも楽しめ
まちを歩いていると多種多様な飲食店や
近江町市場のような地場の食材や特産品を扱うところも多く見られ
食文化の旺盛さを感じる事が出来ます。
500円の一日バス乗り放題チケットもあり
観光用の巡回バスだけでなく路線バスに乗って観光する事も出来ます。
金沢市公式観光ガイド

重要伝統的建造物群保護地区にも指定されている
ひがし茶屋街は保存地区内の建築物140軒のうち約3分の2が伝統建築物で
中でも文政3年(1820)に建てられた当時のままに残っているお茶屋
国の重要文化財「志摩」があります。
現在は観光施設として一般公開されています。
※内部は携帯や小型カメラのみ撮影可能です。

ひがし茶屋街の二番町


金沢独自の文化である朱壁

なかの間


全て襖の引手や装飾品には手の込んだ細工が
写真は七宝の加工


台所も当時のまま保存


食器


地下には食品保存庫もあります。



ひがし茶屋休憩所では典型的な金沢町家を見られます。
観光ガイドもこちらおられます。

金沢も平入の町家です。
現役の米屋さん。



2階部分はこちらも金沢特有の群青壁



もてなしの心遣いを感じます。



茶屋街周辺にもおもしろい町家が沢山みられました。

3階建ての町家 



こちらは古着屋さん

金沢には町家を大切に残し使っていこうという文化があり
伝統的建築物を修復していく職人を育成する金沢職人大学校があったり
古い町家を斡旋する金沢R不動産のような会社もあります。

しっかりと経済が回り、
収益を上げながら無理の無い方法で町家を残し活用していく手段として
金沢には良きお手本になる事例が沢山あります。

2015年2月7日土曜日

建築観光秋田

秋田県には観光で見て頂きたい建築が数多く有ります。
国指定重要文化財が24件、
登録有形文化財が171件(77カ所)
重要伝統的建造物群保護地区が2カ所もあります。


角館町は重要伝統的建造物群保護地区で
佐竹藩北家の武家屋敷が多く残り
町家や古民家も多数点在しています。



増田町も重要伝統的建築物群保護地区で
漆塗り壁の蔵や秋田県特有の妻入りの町家が多く残っています。



湯沢市には酒蔵や町家や屋敷等の登録有形文化財が点在し
他にも白井晟一(せいいち)の建築が多く残る事でも有名です。
白井晟一は第二次大戦前までドイツに留学し
帰国後建築家になった人物で
大戦中に湯沢市に疎開をしていた縁で
数多くの建築を残しており、今でも建築愛好家が見学に訪れているようです。

両関の酒蔵も内部の一般公開はしていませんが
これほど巨大な酒蔵は国内でも希少な物だと思われます。



秋田市金足の秋田県立博物館に程近い
旧奈良家住宅は江戸時代中期の宝暦年間(1751〜1763)の建築で
両中門造りの秋田県中央沿岸部の代表的な大型農家建築です。
一般公開もされています。


佐竹藩の菩提寺である天徳寺は1687年の建立で、
開口役30メートルの大建築で東北でも最大クラスの茅葺き屋根が特徴です。
山門は1709年の建立、で三間一戸、瓦葺きの桜門です。
境内入り口の総門は1676年の建立、切妻造の四脚門です。



全国花火競技大会で有名な大仙市にある古四天王神社は
元亀元年(1570)に飛騨の匠である甚兵衛が建てたと言われています。


旧日本石油秋田製油所「被爆倉庫」は
第二次大戦最後の空爆による熱で溶けた鉄筋コンクリートの跡が見られる戦争遺産で
現在一般公開はされていませんが今後市が保存、公開へ向け計画中です。




秋田市大町の旧金子家は
秋田市に現存する典型的町家で唯一一般公開をしている施設です。




以上はほんの一部で
日本最古の芝居小屋「康楽館」や
前回ご紹介した大正時代の大屋敷を改築した温泉宿の樅峰苑など
他県にはあまり見られないような建築もあるので
数日掛けて秋田の建築を巡りつつ、豊かな自然に癒され
美味しい地酒や地場の食材を楽しむ小旅行をしていただけると
より秋田の良さをお楽しみ頂けると思います。
留学生や建築系の学生向けの修学旅行等もいかがでしょう。


温泉



秋田市新屋地区にある新屋温泉
地下700メートルから湧く湯量は毎分260リットル、
41.5度の強塩泉でヨウ素イオンの含有量が
37.6ミリグラムという驚異的な濃度で、
全国の温泉のなかでもトップクラスの高数値です。
おそらく源泉掛け流しで湯温が熱いのとぬるい浴槽に分けられており
好みに応じてお湯を堪能できます。
秋田県に育った樹齢200年以上のヒバ材と今では入手困難となった天然秋田杉を
惜しげなく使った建物も大変素晴らしい物で、
ここまで贅沢な木材を使った温泉は中々ありません。



大正時代の建築で国指定有形文化財の温泉宿、樅峰苑
16.3メートルの天然杉の一枚板を張り合わせた廊下や
鹿鳴館を模して作られた階段など、
大正時代の大地震で耐震性の必要性を痛感した当主が
大工を東京に送り技術を習得させ作らせた大屋敷です。
温泉源泉掛け流しで茶褐色のナトリウム強塩酸
油層の温泉で仄かな油臭がアイラモルトのピート臭を連想させます。
日帰り入浴(600円)も可能で建物や資料館の見学(210円)のみも可能です。
お食事もいただけます。


その他天然掛け流しの温泉としては
秋田市の貝の沢温泉は秋田駅から車で20分程度)
五城目町の湯の越の宿、
北秋田市の長寿の湯もおすすめの温泉です。

秋田県は鶴の湯がやはり有名で人気ナンバー1ですが
天然掛け流しの温泉も結構あるので探してみるのもいかがでしょう?

2015年2月4日水曜日

数奇者の遺産

関ヶ原の戦いの後に佐竹藩は国替えとなり
慶長8年(1603)5月から久保田城下のまちづくりがはじまりました。
翌年の8月には現在の千秋公園にあった久保田城が竣工し
藩主佐竹義宣も移り住みました。

当時の城下町は豊臣秀吉が天正19年(1591)に行なった
京都の近世城下町への大改造が手本とされており、
久保田城下町もやはり多くの面で京都のまちづくりが手本とされました。

町の景観を美しくするという点に注目してみると
近世の生活基盤であった「町」において定められた規則
「町式目(ちょうしきもく)」があり、この規則によって
長のれん、表構えの格子の禁止などを定めたりするなど、
建物の細かいデザインを規定したものもありました。
町式目を背景に、町家の外観は町や職種の在り方と密接につながり、
整然とした統一感のある町並みを形成していきました。

一方、久保田城下町の美観形成はどうだったかというと、
やはり義宣も町並みの景観は相当重視したらしく
身分の高い武士の屋敷境を板壁にし、
身分の低い武士は生け垣にすよう自ら指示したそうです。
また、外町のメインストリートに立つ各家を二階建てに統一させたり、
見苦しいと感じた家に関しては作り直す様に命じていた程であったそうです。
さらに通町の町並みを形成する各家並の出が不揃いなので、
セットバックするようにも命じたそうです。

当時の日本人の美意識というものは現代人とは
比較にならない程高い水準であったと想像出来ます。

この時代の美の中心となっていたは茶の湯の世界。
そこには禅の教えと自然の美しさを生活に取り込む事への探求が見られました。
やがて日本の美意識は江戸時代末期から明治に掛けて
浮世絵や工芸品等により欧米諸国へ紹介され多くの芸術家に影響を与えていきました。
現代においても、appleのスティーブジョブズも禅に強い影響をうけており
製品デザインにもその概念が反影されているように思えます。

明治11年に秋田を訪れたイギリス人旅行家イザベラバードは
日本で一番好きなのは久保田だといい、
昭和10年に秋田を訪れた建築家ブルーノタウトは
秋田はまさに北東北の京都だと言わしめた程
美しい町並みと景観が保たれた町であったのだろうと思います。

その後太平洋戦争と高度成長期の影響で
久保田城下町は近代化の一途をたどっていきましたが
佐竹義宣が自ら線を引いた町割りは今も変わらず残っています。
城下町の風情が残る建物も、壊されるか否かのギリギリの所で残っています。
毎年2軒、3軒と解体される町家が増える事の無いようしっかりと見守り
早急に保存方法を考える時にきていると思います。

※2月7日から秋田市アトリオンの千秋美術館の
コレクション展「旅路」にて
江戸時代の久保田城下町の町並みが描かれた
「秋田街道絵巻」が展示されます。



佐竹義宣

2015年2月2日月曜日

北東北の京都、秋田

今から80年前の昭和10年5月に秋田に訪れた
建築家のブルーノ・タウトの著書「日本の家屋と生活」に掲載された写真。
版画家勝平得之のガイドで秋田市の町家を見て回った際に同行者が撮った写真です。
この一年後の昭和11年にすぐそばの平野政吉氏の米蔵にて
藤田嗣治の「秋田の行事」が世界最速最大サイズで描かれました。



写真に写る手前の町家と右奥の蔵は今でも残っています。
町家は大分手が加えられていますが屋根はそのままの状態で残っています。
しばらくは取り壊される事は無さそうです。





しかし問題は蔵です。
手塚薬舗は数年前より空き店舗のまま。
建物は一目見てすぐにでも何らかの改修が必要だと言える程痛んでいます。






ブルーノタウトは初めて桂離宮を世界に紹介した建築家としても知られています。

「秋田はまさに北東北の京都といえる。」

それほどまでに秋田市の一つ一つの町家の魅力に高い評価をし、
秋田市の町並みの美しさに感銘を受け
その証拠に翌年の冬にも秋田を訪れています。

すぐそばにある唯一オリジナルの状態で一般公開されている金子家のように
大きな町家を再生するのはお金も時間もかかりますが
それに比べると蔵は間仕切りも無く床も土間なので
町家を一軒再生する程難しい事ではないと思います。

立地的にも中心市街地ですので仮に店舗として活用するならば
ビジネス的にもチャンスが大きいと思います。

どのように再生してどのように活用するのかはすぐには決められないとして、
少なくてもこの貴重な文化財が解体されてしまうのだけは避けたい所です。

同じ様に文化的価値のある伝統建築は私たちの身近にけっこう残っています。
特に、新屋、牛島、旭南には何軒かまとまって残っていますし
大町、中通地区も点在してはいるものの徒歩圏内です。

新屋へは秋田駅からバスでも電車でも行けますし
通町から大町、旭南商店街、牛島までであれば
頑張れば徒歩で、あるいは自転車でも行けますし一部循環バスも運行しています。

まずは回遊型のイベントを開催したり、
それをきっかけに各空き家が魅力的な店舗で埋まっていき
息を吹き替えすようになったら
秋田市は住む人にとっても訪れる人にとっても
魅力的なまちになっていくことでしょう。

昨今の空家問題が深刻化されている今こそ
伝統的建築物が他の空き家と一緒くたに扱われる事がないよう
多くの人が文化財としての価値に気が付いて欲しい物です。

2015年2月1日日曜日

町屋探訪~盛岡市鉈屋町

盛岡市にも3つの銀行や公会堂といった西洋建築、300年前の蔵を改装した店舗、
一般公開されている南昌荘やそれ以外にも大きなお屋敷等が多数残っています。

それらの質も軒数も秋田市に比べるとはるかに上回っており
それらを保存しようとする動きや
有効活用している実績もかなり前からはじまっているようで
盛岡にはこれまで何度と無く訪れておりましたが
今回町家というキーワードを通して見直してみると
多くの発見がありました。

中でも昨年7月にオープンした「もりおか町家物語館」がある
鉈屋町を歩いてみました。

旧岩手川酒造鉈屋町工場跡を改装した町家と倉庫蔵と2棟の酒蔵から構成される
もりおか町家物語館はオープンからまだ半年と言う事もあり大掛かりなリフォーム
が成された綺麗な内装でした。


蔵はお土産やと展示だけでなく、120席のホールや
イベントに適した下屋には屋台ブースなどもあり
機能的で集客をはかる拠点になり得る物だとは思いますが
どんなに建物が素晴らしくても肝心なのはイベントの内容であることは
どこも一緒だなと考えさせられました。


母屋の3階建ての町家は改装でかなり手が加えられ
オリジナルの状態では有りませんでしたが
1階、2階は見学する事が出来き代表的な盛岡町家を隅々まで見る事が出来ました。
1階にはカフェもあります。

周辺では改装中の建物もありました。






看板建築も改装中







































現役の建物も多数

こちらの湧き水は江戸時代までは清水池で
明治に入ると維持管理の為に組合もつくられました。
もちろん今も生活用水として使われています。






































町家を改装したコミュニティセンターのような施設が2軒あり
そのうちの一つでは「町家で神楽」というイベントの真っ最中でした。

















町家改修の相談サロンも併設





































味わいのあるお店

















おしゃれなお店も






































大変立派な建物は木津屋池野藤兵衛家住宅。立派なウダツです。
県指定有形文化財。
















板塀プロジェクト。旧料亭川鉄という庭園も立派なお屋敷がありますが
それを取り囲む塀を板塀にするというプロジェクトです。
こやって寄付を原資に行なうプロジェクトも重要です。







































観光看板。テレビドラマのロケ地にもなっていたようです。





































注文後に生豆から焙煎して販売するとても素敵な珈琲豆屋さんもありました。
外装も内装もとてもおしゃれな空間です。





































この他にも、お寺なんかもたくさんあり回ってみましたが
本堂の扉は閉まっていて拝観する事は出来ませんでした。
あさ開酒造という大きな酒蔵もあり
おしゃれなレストランやお土産屋も併設され観光拠点となっていました。
江戸時代につくられた十六羅漢石像の有る公園もありました。

酒蔵があり、湧き水が湧き、お寺もあって、町家なども多く残る・・・
秋田市の新屋地区に似ているなと思いました。
いま旧新政の跡地に拠点センターをつくる計画が進んでいますが
その土地の前面にある渡邊幸四郎邸も一緒に改修をおこないながら
周辺の町家等も利活用しようとするならば
盛岡の鉈屋町が良き参考例になると思いました。

盛岡でも京都や金沢のような伝統的な町並みをテーマにしたまちづくりをもしすれば
既存の建物や文化財、人物や伝統文化にみられる観光素材を見てみれば
その質も数も秋田とは比較にならない程魅力的な物になると思いました。
ちょっとした小路や路面にはこじんまりとして外観からもその魅力が伺えるような
素敵なカフェや雑貨店も沢山あるように思います。
地元の人たちも地場産業を盛り上げようとする意識が高いらしく、
ファミレス等も比較的少ないのはそういった理由も関係しているそうです。
秋田の様に飲食店の人気投票の上位にチェーン店がランクインする所とは大違いです。

しかしながら秋田には秋田の個性があり、
それは町家一つとってみても盛岡や他の地域とは全く異なっている事が
今回の探訪でわかりました。

南昌荘や上ノ橋町や紺屋町等今回回りきれなかった所も多いし
春になるとマーケット等のイベントも開催されるので
再び盛岡を訪ねてみたいと思います。